安心立命——日本人が目指した悟りと平安の境地
こんにちは。
伝統的なレイキヒーリングを入り口に、日本古来の精神性を学ぶ、小さな学舎「Soul & Self」を主宰している、ねうです。
レイキ発祥の地である京都・鞍馬山にて『伝統靈氣道』をお伝えするレイキヒーラー養成講座を開催しています。
レイキヒーラーが心の中心に据え、目指すべき境地「安心立命」。
臼井靈氣療法の創始者である臼井甕男先生は、「靈氣療法の最終的な目的は、安心立命を得ることである」と述べていたと言われています。
しかし、この「安心立命」とはレイキスクールの流派によっては、ほとんど解説されないこともあるようです。わかるようで、なんとなく分かりにくい「安心立命」という境地。この記事では、この「安心立命」について、多角的に解説していきます。
【目次】
「安心立命」という言葉の起源
「安心立命」と禅(仏教)と儒教の関係
「安心立命」と五戒のつながり
「安心立命」を得るために
終わりに
「安心立命」という言葉の起源
「安心立命」とは、臼井先生が創作された言葉ではありません。その起源はハッキリとはしていませんが、一説には中国の『景徳伝燈録』や儒教の『安身立命』にあるのではないかと言われています。
「安心立命」は、日本においては、少なくとも明治~大正期には、人々の思想や禅語のなかで、広く用いられていた言葉のようです。
幕末の三舟と呼ばれている山岡鉄舟が武士道について論じた話をまとめた『山岡鉄舟の武士道』のなかでも、「もし内に生まれながらにもった仏性を開発して、外に十善の正道を教示し給うものがなかったならば、ただ禽獣と差別することはできない。このようなありさまでは、何によって安心立命の大盤を求めることができようか」と書かれています。
このように「安心立命」とは、武士道や禅といった思想や哲学、在り方とも関連する言葉であったようです。
「安心立命」と禅(仏教)と儒教の関係
「安心」を「あんじん」と読むとき、それは単なる “心の安らぎ” ではなく、仏教においては「信仰によって心が一つところにとどまり、動じなくなる境地」を指します。広辞苑にはこのように記されており、日本大百科全書でも「究極の静けさに至った心、すなわち涅槃の境地」と説明されています。
つまり、「安心」という語には、古くから “揺らがぬ心” へと人を導く、仏教的な深みがあります。
心が穏やかに凪いでいて、外からの現象に動かされることのない、静かな境地です。
一方の「立命」は、儒教の『孟子』にある「殀寿貳わず…」の一節に由来するといわれています。
「人がどれほどの寿命を与えられているかは天命の領域であり、だからこそ生きているあいだは自らを磨き、その姿勢のまま天命を静かに待つことこそが、人としての本分である」。このような解釈がなされています。
陽明学者・安岡正篤は『朝の論語』の中で、天命について「造化の絶対的な働きであり、私たちはその一部分である」と述べています。 自らに与えられた素質や能力を知ることが「知命」であり、それを自主的に活かしきることこそが「立命」であると。
このような言葉の深い意味や背景を含めて「安心立命」を捉えるとき、それは「人事を尽くして天命を待ち、どのような状況においても心が揺らがされることのない平穏の境地」であると定義することができます。
臼井先生は生前「どんなときでも心が動揺することなく、いつも安らぎと喜びに満ちている状態こそが、最大の幸福である。財産、地位、名誉、満足感など、状況や感覚に幸福の基準を置いている限り、安心立命は得られない。努力したあとは、宇宙を信頼してすべてを任せなさい」とおっしゃっていたと言われています。
これは宇宙との一体化を目指す靈氣の精神性とも深く関わっています。
「安心立命」と五戒のつながり
臼井先生の靈氣療法の思想を引き継いでいるかどうかの一つの指針として「五戒」を教えの中心としているか、というものがあります。
五戒とは、レイキヒーラーが心の指針とするべき5つの教えです。
今日だけは、
怒るな、心配すな、
感謝して、業を励め、
人に親切に
悟りの境地「安心立命」に至るため、また天与の霊能によって心を正しくし身体を健康にして、人生の幸福を味わい楽しむため、臼井先生は臼井靈氣療法学会の門下生たちに、朝晩、静座合唱して「五戒」を唱えるようにと伝えていらっしゃいました。この短く、シンプルな五つの戒律に、臼井靈氣の真髄である「安心立命で生きる」とはどういうことかについての教えが凝縮されているのです。
「安心立命」を得るために
昔から、禅や “道” を探求する人々が目指した悟りの境地「安心立命」。
これを得るためには、日々自己内省・自己練磨を続けていく必要があります。
「これさえやれば、誰でも簡単に、今すぐ安心立命を得られる」というものではありません。
悟りへと至ろうとする姿勢、自己内省や自己修養をコツコツと続けていくこと。自分の人としての器を育て、精神性を向上させていこうとすること。こうした積み重ねの先に、「安心立命」という境地に達することができるのだと思います。
それでも、いくつか「安心立命」の境地のヒントとなるかもしれない “在り方” や “人生の捉え方” をご紹介して、この記事を終わりたいと思います。これが絶対唯一の答えや道ではなく、あくまでも道標となりえるかもしれないものとして、捉えていただけると幸いです。
1. 持ち物・立場への執着を減らす( “知足”:足るを知る)
わたしたちの命や人生で手にしているものは、すべて天から一時的にお借りしているものである、というのが日本古来の感性です。肉体や財産、家族や地位も例外ではなく、何一つとして “自分のもの” ではありません。この意識を持つことで執着は自然と小さくなり、たとえ失うことがあっても心を大きく乱されづらくなります。また、すべてのものは不変ではない(諸行無常)ということを知っているからこそ、今目の前にあるすべての物事に感謝の気持ちを抱くことができるのです。
2. 宇宙の大いなる働きを信頼する
わたしたちを生かしてくれている宇宙の大靈(生命エネルギー)は、わたしたちの進化や成長、弥栄を促そうとする働きであり、わたしたちを苦しめたり、停滞させようとする働きではありません。宇宙が善きものであることを心から信頼することで、「人生に起こることはすべて最善であった」と受け止めることができるようになります。試練のように見える出来事も、学びと成長の機会として捉えることができるようになるのです(日日是好日)。
3. 人事を尽くして天命を待つ
日々の仕事や責任を精一杯、誠心誠意、努力して果たしたあとは、結果や見返りへの執着を手放し、ただ天命に従う姿勢を持つことが重要です。天命だけにすべてを委ね、自分では動くことも努力することもなければ、人として成長向上することはできません。しかし、すべてを自分の一存でコントロールすることができると考えてしまうと、執着や不安を生み出してしまうものです。
人として誠意ある努力をしたあとは、その結果を天に委ねる。このバランスが、安心立命の境地を得ながら、充実した人生を生きるための秘訣です。
終わりに
レイキヒーラーが目指すべき境地「安心立命」。これは仏教や儒教などの教えとふかく関わる、悟りの境地でもあります。
大悟として表現されることもある「安心立命」は、決して一朝一夕で得られるものではないのかもしれません。それはきっと、日々の自己内省や修養を重ね、自分自身の器を少しずつ広げ、精神性を磨いていくことの積み重ねの先にある境地です。
しかし、完璧である必要はありません。その境地に向かっていくために精進しつづけようとする姿勢こそが、大切です。日本古来の教えに「道」という言葉がついているのは、まさにこのような精神修養は一生涯続いていく「道」であるからなのだと思います。
『伝統靈氣道』をとおして小さな学舎「Soul & Self 」がお伝えしたいのは、不完全なまま、揺らぎがあることを抱きしめながら生きていくことの美しさと尊さ、です。「安心立命」という心に凪を抱いた境地を目指しながらも、揺らいでしまう自分も受容していく。揺らぎ続けるなかで、それでも諦めずに精進しつづけていくことで、きっと、揺るがない “しなやかな軸” があなたの心に育まれていくのだと思います。
どうか、この記事があなたの内側に小さな光を灯し、日常の中で心の安らぎを見つけるヒントとなりますように。そして、たとえ一歩ずつでも、安心立命の境地へと歩む旅を楽しんでいただけたら幸いです。
<参考にさせていただいた記事>
小さな学舎「Soul & Self」では、“おだやかに日々を生きられる、しなやかな心を育むこと” をテーマに、手当療法としてのレイキ、精神修養としての伝統靈氣道、そして自律神経系理論をベースにした心理学を統合した学びをお伝えしています。
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